刑罰
刑罰の種類
・呵責
いわゆる”お叱り”のことで、「叱り」と「急度叱り」の2種類がありました。これは罪人の不心得を諭すもので、酔っ払って他人に迷惑をかけたり、軽微なかっぱらいなどは、このお叱りを受けたそうです。
・押込
一室内に閉じ込め、外からの接見・音信を禁じました。俗に座敷牢とも呼ばれます。大体、20日〜100日位までの期間があったそうです。
・預かり
これは正式な刑種ではなく、予審中に町内の何処かに住まわせて監視させ、これを入牢に代えたものでした。預かりにはただの「預かり」と「永預かり」があり、永預かりには恩赦がありませんでした。
・閉門
武士に科する刑で、上記”預かり”と同じく、一室内に蟄居させられました。門扉には竹を十文字に打ちつけられ、窓も塞がれました。こちらは50日・100日の2種類がありました。
・逼塞(ひっそく)
武士・僧侶・神官に科せられる刑で、遠慮、慎、逼塞の3種類に分かれていました。こちらは、門戸を閉じているだけで、友人親戚の来訪は許されていました。期間は慎で30日間、逼塞で50日間ときめられており、要するに「反省しなさい!」という意味合いだったそうです。
・蟄居
これはよく聞くと思います。蟄居・隠居・永隠居の3種類があり、蟄居は閉門と同じく一室内に閉じ込められますが、本人だけの刑なので、家屋の出入りは自由でした。隠居は役を降ろされ、世禄は子供が相続しました。永蟄居は終身で解除がありませんでした。
・戸締
逼塞の庶民バージョンです。釘で門戸を打ちつれられ、20日・30日・100日の3種類がありました。
・過料
庶民対象の罰金刑です。八代将軍吉宗の時代に始められました。もちろん、払えない人もおりますので、そういうお客様は手鎖の日数に変えられました。金額はだいたい3貫文〜5貫文の間で、重過料は10貫文でした。
・身代限り
いわゆる全ての財産没収です。
・闕所
これは、流罪・追放などの刑に付加されるもので、家財・田畑を没収するものから、家財全部を没収することもありました。大赦などで、追放などの主刑が許されても、闕所は許されませんでした。ちなみに、これを始末するのは町奉行所の闕所方で、競売は闕所奉行が行いました。
・改易
士以上の者に対する刑で、大名・旗本が采地家屋敷を没収されるものを浪人させられるといいました。士籍を削られる場合は、いわゆる庶民に格下げ?させられるということで、こういった場合、やはりその土地には居辛くなって遠方に移ってしまったそうです。ちなみに、浪士とは失職した武士をいい、浪人は百姓・町人が失職したものも浪人といいました。
・追院
僧侶に対する刑で、宮・僧籍を剥奪して寺に戻ることを禁じたものでした。心中のやりそこないがよくこの刑を受けたそうです。
・退院
僧侶に科される刑で、僧籍を剥奪して寺から追出すものです。
・構え
追院より重く、一派構えと宗門構えの2種類がありました。前者は、一派から除名されるが、宗門に属することはできました。後者は宗門から除名されてしまいます。
・晒し
僧侶に科せられた刑で、市中に拘縛して3日間晒されました。その後、所属する本寺に下げて寺法によって処分させました。
・手鎖
一般庶民に科せられた刑で、30日・50日・100日の3種類がありました。両手を鎖または手錠で縛し、家の中で謹慎させるもので、これを壊すと罪がより一層重くなりました。ちなみに、過料を払えない者は、3貫文以上5貫文以下は30日、10貫文は50日、それ以上は100日の手鎖でした。
・剃髪
女性(婦人)に科せられた刑で、駆落ち・不義などの軽罪に科されました。
・奴
奴隷の意味で、婦人に科せられた刑でした。奴に下げられた婦人は無給で一生酷使されました。一種の労役刑ですが、親兄弟の罪科の連座か、隠し淫売の者がこの刑を受けました。
・敲き
敲きは拷問でも行われましたが、庶民の軽犯罪者の罰としても行われました。
・牢庭敲き
牢内規則に違反した者に対して行われました。50・100回の2種類がありましたが、見せしめの意味も込めて、力を込めて敲いたそうです。
・過怠牢舎
女子及び15歳未満の男子の入牢の換刑として行われました。敲き刑の1日が1打で、敲き50であれば50日の牢舎となります。
・入墨
入墨は盗犯に加えられる付加刑で、前科者としての証拠になりました。入墨は地域によって異なり、どこで入墨の刑を受けたかわかるようになっていました。ちなみに、怖いおにーさまが背中などにカラフルな文様を入れているものは彫り物といって、これを入墨といったら叱られます。
・追放
追放は罪の軽重によって、決められた地域から追出される刑です。所払い、江戸十里四方払い、軽追放、中追放、重追放の6種類がありました。追放刑は、そこに住むことはできないが、旅姿で通行するのは構わないという抜け道があり、歩いているぶんには咎めを受けませんでした。
・非人手下
農民や町人・浪人・神官・僧侶の籍を剥奪された者に与えられる恥辱刑で、非人頭の支配に属するようになる刑で、これを非人手下と呼びました。
・溜預かりの制
追放刑を受けた浪人・庶民は無宿となるものが大半で、再犯の恐れのあるものは、懲らしめのために佐渡の金山に送り、水替人足として使役されました。溜預けには恩赦があり、許されて戻ることもありました。
・遠島
島流しです。新島・三宅島・御蔵島・八丈島あたりに流されました。ただ、通い船が少なく、遠島の判決がおりても、長期間を牢内で待たなければなりませんでした。
・晒刑
晒刑は、主刑の付加刑として行われました。いわゆる苦しみのおまけというやつでしょうか。だいた、磔・火焙り・などの付加となっていました。晒される期間は大体3日間。
・下手人
下手人とは、人殺しをして情状酌量された者が首を斬られる刑で、死刑の中では一番軽いものとされていました。ようするに首は斬られるが、斬った後に引取人に引き渡されるので、埋葬することもできたからという理由なのですが・・。斬られるには変わりないのですがね。ちなみに、首を胴に継ぎ足すことは禁じられていたそうです。
・死罪
斬首刑ですが、下手人よりは重く、斬られた後に、その遺体は様斬り(ためしぎり)され、刀剣の切れ具合をためすのに使われました。女性は様斬りされずに、腑分けといって、医師の申し出があれば、解剖の材料となりました。
・獄門
死罪より重く、斬首されてから、その首を3日間刑場に晒すという恥辱刑が付加されたものです。どのみち、本人は切られた後なので、何とも思わないのでしょうが・・。
・引廻し
斬首の付加刑で、裸馬に乗せられて牢屋敷から刑場に行くものです。これも恥辱刑ですが、当の囚人にとっては、娑婆の見納めができて喜んでいたそうです。
・磔刑
磔されてグサグサと刺される刑です。この刑に処せられる者は、関所破り及びその案内人、姦通しその本夫を殺害した女、主人及びその妻、子供を傷害した者、女を誘拐して遊女に売った者、金銀を贋造した者などでした。武士も養父を殺したり、公儀への大逆罪などがこの刑に該当しましたが、滅多に磔にはならなかったそうです。
・火罪
俗に言う火焙りの刑です。江戸時代初期の切支丹信徒はこの刑に処せられていて、やはり熱さから随分と苦しんだそうです。火焙りという言葉のように焼き殺すというよりは窒息死させるものであり、時代が経つと絞首してから、火焙りで死亡したように見せかけたとも言われています。だいたい放火犯がこの刑に処せられました。目には目をということですかね。
・鋸挽き
最も残酷な刑で、主殺し以上の大逆罪に適用されました。室町時代後期から織豊時代には盛んに行われましたが、江戸時代には形式として行われました。いわゆる鋸挽きの晒しで、最後は磔刑が行われました。
・切腹
腹切です。武士が武士の体面を保って自殺する方法であり、その方法で死ぬことは武士の面目でした。古くは本当に切腹自殺をしたのですが、それでは長く苦しむので介錯人が首をはねるようになり、ついには斬首し難いので、切腹のマネをやらせて、その間に首を斬るようになりました。江戸時代には切腹の仕方を心得る武士も少なくなり、赤穂浪士の中にもやり方を知らない者もいたそうです。
切腹の正式なやり方は、まず刀を左脇下に突き立て、右方に引き回し、次に胸下を刺して心臓を貫き、上向きの手を握り返して柄頭を握り、刀に任せて下方に押し下げました。それでも気絶しなければ、喉を突くというものなのですが、ここまでできる人は本当にいたのでしょうか・・。







